かさね色目とは、平安時代の装束の色彩コーディネートです。当時の絹は薄くてよく透けたため表地と裏地の色の組み合わせや、十二単のような重ね着をした時の配色、さらに経糸と緯糸の色を変えて織ることで複雑な色を作り出し、季節の色彩を楽しみました。色の組み合わせには名称があり、着用の季節や祝儀用など用途が決まっているものもあります。4〜5月ですと、白と青の組み合わせの「卯花(うのはな)」、青と紅梅の組み合わせの「菖蒲(しょうぶ)」などがあります。着物と帯・帯揚げ・帯締めの色選びに、このかさね色目を参考にして、色で季節を楽しむのも素敵かなと、思っています。
奈良の都が出来まして85年の歴史が過ぎると、都は京都へ移ります。桓武天皇の時代、延暦13年(794)11月に奈良から京都へ都を移された。
それから話が飛びまして、丸100年、1紀元経った894年に、御年わずか25才の宇多天皇が、菅原道真をお召しになって、「御苦労であるが、中国大陸へ行って、今まで聖徳太子以後、諸々の文化・学門が色々入っているけれど、お前は人間が聡明だから、中国からまだ来ていないものを祝察して、良いものは全部、目と頭に入れて来て貰いたい」と命令されたのですね。
都が京都に移ってからも、この100年の間にも、遣唐使が派遣され、中国の文化や、仏教僧なども日本に来ていた。それにならって、宇多天皇も遣唐使を出そうとなされたわけでしょう。ところが道真は、「お言葉を返すようでありますが、今、日本は危急存亡の秋(とき)で、財政が苦しゅうございます。もし行くなら若者を30人から50人引きつれて、船も新しく造り、それも2隻か 3 隻で行かねばなりません。航海術も未熟ですから、季節風に流されて行けば全員滅亡するかも知れない。今迄そんな例も沢山あるのですから。今はそんな場合ではありません。聖徳太子以来、今まで学問、仏教など沢山入っていますから、それを日本的にかみくだいても遅くはないでしょう」とお答えになる。お若い宇多天皇も「お前の云っている事にも一理がある。それではその様にしよう」と云われて遣唐使を中止なさった。 先見の明があったかどうか。その当時中国は戦乱の巷になっていたのですね。菅原道真が宇多天皇のご命令通り中国へ渡っていたら、どうなっていたかわからない。先見の明があったのか間が良かったのか行かなかった。その時に、日本のきものが出来たのです。
朝服を基にした種々の衣服が奈良時代から平安の時代までずっと受け継がれて来ていた。この元は胡服の二部式でありますけれども、それを日本的に改良したのがこの時のことだったわけです。菅原道真は学問の神様でありますが、私に云わせればきものの神様です。中国へ渡らず、今迄渡来したものを、日本流にかみくだいて、日本のものにした。今日私が日本のきものの元だと考える十二単が、初めて平安時代の末期、藤原時代に出来上ったわけです。
男には衣冠束帯という素晴しいものがある。女には十二単がある。純日本の服装の黎明期の衣裳です。今の小袖につながるものです。
この時代は、貴族文化の時代と云いまして、男が女のように歯を鉄漿で染めて、おはぐろにし、黒の帽子をつけて、化粧して、歌を詠んだり月を見たりして栄耀栄華を極めた時代です。その貴族文化の結晶が十二単であり衣冠束帯の衣裳なわけです。
こういう大きなきもの、五枚襲(がさね)の五衣のきもので、紫宸殿の御所の中へ、貢納物を持った外国の賓客が来た時なんかに、公家の娘とか奥さんがお相手をする。舞いを舞ったり、酒肴でおもてなしする時のユニフォーム、それが十二単なんですね。
通常は十二単の内、唐衣と裳を取って、上に小袿を着る。
鎌倉時代も平安時代と余り変化がなく、十二単が続いて着られます。
先日、中沢和裁師範学舎で縫わせて頂いた女物袷着物、男物単着物と羽織を着用したゲストの方が登場する『きものトークショー』に行って来ました。普段、自分が縫った着物をお客様が着ている姿を見ることは出来ないのですが今回、着姿を見られてとても嬉しかったです。
これからも着心地が良く、着姿の格好の良い着物に仕立てられるようがんばろうと思います。
きれいな運針に憧れて通い始め、半年になりました。先輩方のお仕事ぶりを、敬意を持って眺めながら、牛歩の毎日です。
戌
明けましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になり、ありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
皆様方のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
着物を洗ったり(着物を解いて洗うことを洗い張りといいます。)、リフォーム(染め直しや別の物に作り替えること)
出来ることを、知らない人が多くなってきてるように感じます。
着物は再利用を前提に作られた衣服と言われています。
もともと、一枚の長い布を裁って縫い合わせて形にします。縫い代は切り取らず内側に縫い込むので、再度糸をほどいて縫い合わせれば、もとの一枚の長い布に戻ります。
洗張りやリフォームはこの仕組みを利用しています。
着物が日常着だった頃は、定期的にこうしたお手入れを行い、大切に着ていました。
そして、使い古して汚れが落ちないものやリフォームで余った端切れを最後まで上手に使い切っていたのです。
着物のリフォームはいろいろあります。
例えば、染め直しは、一般的に着物の地色を替えることで色無地を小紋にしたり、
違う色の色無地にしたりします。
地色替えは付け下げや訪問着の地色だけ違う色にすることです。
しみや汚れがあり、落ちないところに刺しゅうや模様を足すこともできます。
作り替えは着物から長襦袢、羽織、コート、帯にといろいろリフォームできます。
リフォームで余った端切れは、バックやショールや吊るし雛などに作り替えれば、最後まで使い切れます。
いろいろなリフォームはお近くの呉服屋さんや悉皆屋さんにご相談ください。
今年5月から【習い事和裁コース】で学ぶ曜子さんはイタリア在住で日本に一時帰国された際の限られた時間の中で、中沢和裁師範学舎で技術を磨いています。
現地では、邦人の子弟に日本の伝統的行事などを教えていて、その親御さんや子供たちに着物を着せてあげたり、貸したりしているうちに、直しや購入などの相談も受けるようになったそうです。それもあって和裁の基本を本格的に学びたいというご希望で、お忙しい中を通っていました。
そして、11月末にまた一時帰国された際、イタリアの郷土菓子「パネットーネ」をご持参くださいました。パネ(パン)トーネ(大きな)という意味のイタリア・ミラノが発祥の地とされるドライフルーツを混ぜて焼き上げた菓子パン。直径は20cmほどで重さは1kg!この1kgの重量がおいしくできる秘訣とか。イタリアでクリスマスケーキといえばパネットーネというくらいに親しまれている、伝統的な郷土菓子だそうです。
早速に皆で切り分けていただきましたが、天然酵母を使い、柑橘類のエッセンスなどを加えて作られたという独特の香りと味を楽しみました。こうして世界の珍しいものを知ることができ、“産地直送”で味わえるのはありがたいことです。
その後、外国にお土産として持っていける日本の伝統的菓子は何だろう、という話題になり、「煎餅(せんべい)」ということに決まりました。
日本製のアニメーションが世界中で評価されていて、その中の登場人物が着ている「キモノ」にも関心が高まり、訪日観光客も「キモノ」を着て楽しんでいるとか。日本人の主食である「うるち米」と、和食に不可欠な発酵調味料「しょうゆ」の組み合わせが外国の方にどう評価されるか、気になるところです。
暑い夏が過ぎ単衣から袷の季節になりましたね。
着物の楽しみは一枚の着物と一本の帯でも
小物一つで雰囲気を変えられることでしょうか。
例えば帯揚げなどはスカーフや手拭いなどでも代用できます。
半衿もレースなどを使えば自分だけの着こなし方を楽しめます。
端切れやビーズで根付けを作ったりガラス玉で帯留めを
作ったりするのもいいですね。
お金をかけなくても工夫次第でおしゃれを楽しみましょう。