私事ながら、この度古希を迎えました。
「古希・古稀」とは中国の詩人杜甫の詩「人生七十古来稀也(70歳まで生きる人は古来より稀だった)」に由来しているそうです。正直なところ、自分が古希を迎えるなど考えたこともありませんでした。
今、ここにいる自分を振り返ってみると、確かに70年の月日を感じます。裁縫が得意な母、特に母方の祖母には私が6歳頃から、服作りの手ほどきを受けました。これがおもしろくて、家中のこけし人形とかフランス人形などに、身近にある紙切れや布切れを貼り合わせたり縫い合わせて服を作り、それらに着せて遊んでいました。
大人になってからは編み物と洋裁を学んだのですが、それらはやがて機械化され人手は要らないような時代が来ると思いました。日本の国に生まれ日本人であるという一つの運命が、我が国の民族衣裳であり、伝統的に手縫いで行われている和服作りの道を選んだのかもしれません。
上京後、偶然に井の頭線の電車の中で中沢和裁師範学舎の広告を見て、そこに必然性を感じたのです。
25歳で中沢和裁師範学舎に入門し、今日までの45年間を和裁一筋で歩んできました。そして今、三代目として後進に和裁の技術を教える立場になりました。
初代に入門のための面接を受けた際、応接間の和裁に関する蔵書の多さに感激したことを憶えています。和裁の技術指導の面では非常に厳しい初代でしたが、後々その蔵書の閲覧を快く認めてくれました。
明治時代の裁縫の教科書や、時代衣裳の着装、素材の基礎知識、しきたりと約束事、着物の意匠、自身が連載した「主婦の友」の和裁技術の連載記事、等々幅広い分野の資料がありました。折に触れその資料をめくり参考にし、実践してきました。そのおかげで、今は着物に関する幅広い知識が増えてきたように思います。